子の偏見は親の偏見
小学校からの親友が在日韓国人だったことを、ハタチの時に知った。
それも本人に言われてだ。
その時は、本当に知らなかったことを信じて貰えなかったし、
知らなかったことに驚かれたりもした。
どうやら知らなかったのは僕だけのようで、周りの友人は皆知っていたようだ。
その当時自分は鈍感だったなと恥じる気持ちと、同時に親に感謝の気持ちを感じたことを覚えている。
自分で考えられる歳になるまで、何も植え付けずにいてくれてありがとうの気持ちだ。
教育方針だったのか、運よく口にせず暮らせる環境だったのか。
思い返せば、自分は親からそういった類の話を一切聞いたことが無かった。
そしてそれは大変有難いことだったと、自分が親になって一層感じられるようになった。
実際に子供を育てて思うことは、
子の偏見は間違い無く親の偏見でつくられるってことだ。
友達の選り好みの激しい子の親を見ると、
性格が合わないと決めつけ、遊ばなくていいと口に出して教えている。
子供は親の良い面も悪い面も、驚くほど全て吸収する。
我が子も人間である以上、将来偏見を持つ事もあるだろう。
自分で持った偏見ならば、なぜ偏見を持ったのか考え、省みる事ができる。
しかしまだ自分の頭で考えられない、子供の頃に刷り込まれた偏見はどうだろう。
生理現象のように一生付きまとうのでは無いだろうか。
我が子自ら気付き、感じるまで、そっと見守る親でありたい。